【 まあ、いいペース 】20年前のクリスマスプレゼント
「なんで、わたしだけ本なの。」
クリスマスの朝。
当時7歳のわたしは、涙が止まりません。
毎年、おもちゃだったクリスマスプレゼントが、
小学一年生になった途端に、
本になってしまったのです。
弟たち相手に、ケーキの大きさを
張りあうような大人げない長女は、
「わたしはお姉ちゃんだから、
次のステージにいったのよ。」
なんて、大人な考えには至りません。
そして弟たちも、ちゃんとらしく。
姉のことは、一切お構いなしで、
目の前のプレゼントに大喜びです。
となりのイチゴは、大きく見えるけど...
カメラのフィルターを通すと、近くにある方がツヤツヤで美味しそうです。
そんなこんなで。
両親は、泣いている娘をまえに、
いろいろなことを伝えてくれます。
しかし、当の本人は、
感情が溢れ出しているので、
入ってくる隙間はなく。
父は、「買いなおそうか?」
母は、「そんなことしなくていい。」
そういう感じだった気がしますが...
正直なところ、
親心にまつわる部分だけ、
記憶は、まるっとすっ飛んでいて。
やっとこさ、
本を読むようになった今。
苦い思い出が、ちがう形にかわって、
ふと、よみがえってきたのでした。
2021年、出会った本のなかに、
こんなことが書かれていました。
北欧のお家は、
窓辺に花やテーブルランプが飾られていて、
道ゆく人を楽しませてくれる。
そんな、ささやかな工夫が、
ゆとりある街にみせてくれたり。
通りかかった人にとっては、
そこにやさしい人が住んでいるように感じられて、
あたたかい気持ちになる、と。
このエピソードを知ったとき、
またまた、
幼いころのクリスマスを思い出しました。
我が家は、12月になると、
父が連れていってくれる場所がありました。
行き先は、住宅街の中。
12月限定、一帯のお家が、
電飾をまとって、キラキラする地域です。
イルミネーションを前にすると、
家族の会話がはずみ、
いつもケンカばかりの兄弟も仲良し。
当時のわたしは、ただただ
目の前にあるキラキラにときめいていたのですが...
今になって、住宅街の人々の
ささやかな気持ちによって、
つくられた時間だったんだなと気付きました。
そして、先日。
小学校からの友人が、
自宅に遊びに来てくれることに。
ささやかなおもてなしに、
お花を飾ってみました。
最近、こんなことを思うことがあります。
インテリアって、
今まで貰ってきたものを繋げていく、
ひとつの方法でもあるなぁ、と。
そして今日は、
2021年のクリスマス前夜。
20年前の今ごろを想像してみました。
きっと両親は、渡したプレゼントを前に、
大泣きされるなんて
思っていなかっただろう。
それか...
本当は分かっていて、
それでも本だったのかも。
回りまわって、今。
やっと、届きました。ありがとう。